それに加えて、冷静で客観的な報道を法律で義務付けられているはずのマスコミが、誤ったリスク認識を煽るようなキャンペーンを張っているのが現実です。
わたしたちは、もっと冷静になるべきです。
Aの不祥事は、マスコミが寄ってたかって毎日吊るし上げにするべき問題だったとは思えませんし、ましてやお役所がAを無期限の営業禁止処分にするべき対象であったとは思えません。
普段気付かないうちに、わたしたちは同様の勘違いをしています。
例えば、自動車に乗るのと飛行機に乗るのでは、どちらが危険だと考えるでしょうか。
多くの人の直感的な答えは飛行機です。
ところが実際の事故統計によれば、事実は完全に逆なのです。
移動距離や事故の数からみると、飛行機のほうが自動車よりもはるかに安全なのです。
先ほどの統計数値では、飛行機事故で死ぬ人は1年間で1億人のうち13人にすぎません。
しかし、交通事故で亡くなる方は9千人もいます。
つまり飛行機のほうが、700倍近くも自動車より安全なのです。
要するにリスクとリスクに対する認識の間には大きなギャップが実在しているのです。
そして、わたしたちが実際に反応するのは、「リスク」そのものではなく、「リスク認識」のほうなのです。
これは本当に悩ましい面を持っています。
というのも、この「リスク認識」という代物は、「リスク」を構成している本当の要素とは、別の要素で構成されているからです。
「リスク認識」は数学的・統計的な期待値によって形成されているわけではありません。
実際、それぞれの「リスク」に関する知識が不十分でも、統計がまったくなくても、わたしたちはさまざまな「リスク」の明確なイメージを形成することができるのですから。
「リスク認識」とは思い入れや思い込みといってもいいのです。
だから、数学的・統計的な期待値が想定する人間の行動パターンからは想像できないことを、わたしたちは知らず知らずのうちに行っています。
すごろくをしているときに、サイコロを振るときの動作をじっくりと観察してみてください。
面白いことに、5や6という大きな目が必要なとき、多くの人は手の中でサイコロを振る回数を増やしたりするのです。
逆に1や2の小さな目が必要なときは、サイコロを振る回数を減らしたりします。
振り方によってサイコロの目をコントロールすることは不可能であるはずです。
そうだと頭ではわかっていても、コントロール可能であるかのような行動をとってしまうのです。
包茎手術はとても便利ですが、これは包茎手術に対する基本的な考え方がしっかりしているからなんです。
